佃の田蓑神社の由来
 田蓑神社は住吉三神をまつり、住吉明神とか住吉大神宮と呼ばれていましたが、明治維新後に田蓑神社と改められました。社伝によると清和天皇の貞観11年9月(869年)勧進と伝えられています。
 田蓑神社の社記によると、神功皇后が三韓征伐からの帰途ここに立寄ったとき、佃の海士(漁師)が白魚を献上したので、海の神として海士をまつるようになり皇后の船の鬼板(船の屋根に鬼瓦のかわりにつけた飾板)を神宝として残し伝えています。
佃漁民ゆかりの地
 17世紀の初め徳川家康が浜松在城のころ上洛して摂州多田神社と住吉神社(現在の田蓑神社)へ参詣した時、佃村の庄屋森孫右衛が佃大和田村の漁師たちに船を出させて神崎川を渡しました、その功に対し無運上極印札(無税・無鑑札)の特権を与え、大阪方に対する隠密と献魚の役を命じたのです。二代将軍秀忠のころ江戸に招かれ一部の漁民に隅田川下流の干潟を下付し、その地を佃島と名付けました。また住吉神社の祭礼に白魚などの塩漬けを神前に供えたのが「佃煮」の起源といわれています。   (写真は神崎川) 
 信頼の歴史・佃煮には明日がある
佃煮は長い歴史の上での完成された食文化の所産です。
佃煮との縁の深い佃漁民のゆかりの地は、大阪駅から阪神電車で十数分の千船駅一帯で、その昔、神崎川の中洲でした。この地の漁民が徳川家康の難儀を救った時の話と家康公と関連する佃煮の物語はここから始まります。神崎川の佃の辺りは、今「佃防災船着場」として災害時の重要な水路の拠点となっています。西淀川区佃には、佃煮を作る工場はないが、佃煮とは深い縁のある田蓑神社があります。家康公がこの地との出会いがある前までは田蓑嶋と呼んでいました。家康公が漁民に田も作れと命じてから佃と改めたのです。
東京の中央区佃の地名はここからきているのです。(武田)
佃煮物語
資料・田蓑神社提供